借地借家法の正当事由とは、普通借家で貸主が更新拒絶や解約申入れによって建物賃貸借を終了させるために必要となる合理的な理由です。貸主から「老朽化している」「建て替える」「自分で使う」と説明されたとしても、それだけで当然に退去義務が決まるわけではありません。
建物の借主は、生活や営業の拠点として物件を使っていることが多いため、借地借家法は貸主の一方的な契約終了を制限しています。正当事由は、貸主と借主の建物使用の必要性、これまでの賃貸借の経過、建物の利用状況・現況、そして明渡しの条件として提示される立退料などを総合して判断されます。
この記事では、建物を借りている借主・テナント向けに、正当事由の意味、立退料で補完される仕組み、立ち退き要求を受けたときに整理すべき資料を解説します。立退料そのものの基本は、立ち退き料とは何かを解説した記事も参考にしてください。
- 普通借家では、貸主の更新拒絶・解約申入れに正当事由が必要になる
- 正当事由は貸主側の都合だけでなく、借主側の居住・営業の必要性も見る
- 立退料は正当事由を補完する要素であり、単独で明渡しを決めるものではない
- 建物の老朽化や建替えでも、耐震資料・計画・借主の不利益を総合して判断する
- 通知を受けたら、退去日や金額に即答せず、契約書・通知書・移転資料を整理する
坂尾陽弁護士
2009年 京都大学法学部卒業
2011年 京都大学法科大学院修了
2011年 司法試験合格
2012年~2016年 森・濱田松本法律事務所所属
2016年~ アイシア法律事務所開業

Contents
借地借家法の正当事由とは
ここでいう正当事由は、主に建物賃貸借、つまりアパート、マンション、店舗、事務所などを借りている場合の話です。借地借家法28条は、建物の貸主による更新拒絶の通知や解約申入れについて、正当事由があると認められる場合でなければ行うことができないという考え方を定めています。
正当事由は、単に「貸主が退去してほしい理由」を意味するものではありません。裁判所は、貸主と借主の双方の事情を比較し、社会通念上、建物を明け渡させることが相当といえるかを見ます。
普通借家では契約期間が終わっても当然終了しない
普通借家契約では、契約期間が満了しても、貸主が適切な時期に更新拒絶の通知をし、かつ正当事由が認められなければ、契約は原則として更新されます。更新拒絶の時期や法定更新との関係は、更新拒絶の正当事由と立退料が問題になるケースで詳しく整理しています。
また、契約が法定更新されて期間の定めのない契約になった場合や、もともと期間の定めがない場合でも、貸主の解約申入れには正当事由が必要です。単に6か月前に通知されたからといって、必ず6か月後に退去しなければならないとは限りません。
この記事は、主に建物の普通借家契約を前提にしています。借地、公共事業による移転補償、有効な定期建物賃貸借、家賃滞納などの契約違反による解除では、判断枠組みが異なります。
正当事由は「貸主の必要性」と「借主の必要性」の比較が中心
正当事由で最も重要になりやすいのは、貸主と借主のどちらがその建物を使う必要性を強く持っているかです。貸主側では、自分や家族の居住、建替え、再開発、耐震上の問題などが主張されることがあります。借主側では、住み続ける必要性、家族構成、通院・通学、店舗や事務所としての営業継続、顧客・設備・立地との結びつきなどが問題になります。
特に事業用テナントでは、物件の場所そのものが売上や顧客動線に直結することがあります。移転できるとしても、同等の立地、広さ、設備、賃料で代替物件を確保できるかは別問題です。そのため、借主側は「この場所で営業を続ける必要性」を抽象的に述べるだけでなく、売上資料、顧客層、設備、移転候補物件、移転費用などで具体化することが重要です。
正当事由で考慮される主な判断要素
正当事由は、複数の事情を総合して判断されます。借主側から見ると、貸主の主張を確認するだけでなく、自分側にどのような反論・補足資料があるかを整理することが大切です。
| 判断要素 | 見られやすい事情 | 借主側で整理したい資料 |
|---|---|---|
| 双方の使用必要性 | 貸主の自己使用・建替えの必要性、借主の居住・営業継続の必要性 | 家族構成、通院・通学、売上、顧客、営業年数、代替物件の調査 |
| 従前の経過 | 契約期間、更新回数、賃料水準、過去の交渉、貸主の説明内容 | 契約書、更新書類、賃料支払記録、通知書、交渉メモ |
| 建物の利用状況 | 住居、店舗、事務所、倉庫などの用途と実際の使用状況 | 営業許可、写真、設備一覧、従業員・取引先への影響資料 |
| 建物の現況 | 老朽化、耐震性、修繕状況、危険性、建替計画の具体性 | 貸主提示資料、修繕履歴、写真、耐震診断の有無、建替計画書 |
| 財産上の給付 | 立退料、移転費、賃料差額、営業補償、代替物件提供など | 移転見積り、内装・設備見積り、賃料差額、休業損害、原状回復条件 |
貸主の建替え計画は「理由」だけでなく具体性も見られる
建物の老朽化や建替えは、正当事由の典型的な主張です。ただし、「古いから」「建て替えたいから」という説明だけで足りるとは限りません。築年数、耐震診断、修繕の可否、建替え後の計画、資金計画、他の入居者の退去状況など、計画の具体性や必要性が問題になります。
借主側としては、貸主から耐震診断や建替計画の資料が示されているか、明渡しの時期が本当に必要な工程と合っているか、他の入居者や隣接建物との調整状況がどうなっているかを確認します。資料が抽象的な場合には、退去日だけを先に決めるのは危険です。
借主側の事情は「困る」だけではなく資料化する
借主側の事情も、単に「出ていきたくない」「困る」と述べるだけでは弱くなりがちです。住宅なら、高齢、家族、学校、通院、介護、地域とのつながり、代替物件の確保困難性などを整理します。店舗・事務所なら、営業年数、顧客の地域性、設備の特殊性、移転休業、許認可、従業員、売上への影響などを整理します。
- 住宅の場合:家族構成、年齢、健康状態、通院先、学校、周辺家賃、転居候補を整理します。
- 店舗の場合:営業年数、売上、固定客、商圏、内装・設備、休業期間、移転先候補を整理します。
- 事務所の場合:取引先との距離、従業員の通勤、設備移設、住所変更費用、信用面への影響を整理します。
立退料で正当事由が補完される仕組み
立退料は、借地借家法28条でいう「財産上の給付」に当たるものとして、正当事由の判断で考慮されます。貸主側の事情だけでは明渡しを認めるには足りない場合に、借主が明渡しによって受ける不利益を一定程度補うことで、正当事由が補完されることがあります。
立退料だけで正当事由が生まれるわけではない
最高裁昭和46年6月17日判決は、立退料の提供は正当事由の判断で考慮されるものの、それだけで独立して正当事由の根拠になるわけではなく、ほかの事情と総合考慮されて補完し合うものだと示しています。
つまり、貸主に建物を使う必要性や建替えの合理性がほとんどないのに、高額の立退料だけで当然に退去させられるわけではありません。一方で、貸主側の必要性が相当程度あり、借主側の不利益が金銭で調整可能な場合には、立退料の支払によって明渡しが認められることがあります。
「立退料を払うと言われたから退去しなければならない」「立退料を払わないと言われたから何も請求できない」と単純に考えないでください。正当事由の強さと借主側の不利益をセットで検討します。
立退料は損失の全額補償とは限らない
立退料は、公共事業の補償のように一定の基準で必ず全額を積み上げて支払う制度とは異なります。裁判では、移転費用、賃料差額、営業への影響、借家権価格、精神的負担などが検討されることがありますが、最終的には正当事由を補完するために相当な金額かどうかが問題になります。
そのため、借主側としては、単に「もっと高くしてほしい」と主張するのではなく、移転によって実際に発生する費目を具体化する必要があります。補償されやすい費目や資料の作り方は、立ち退き費用(立退料の内訳)と補償される費目で整理しています。
訴訟中の立退料提示や増額も考慮されることがある
最高裁平成3年3月22日判決は、貸主が解約申入れ後に立退料を提示した場合や、当初の提示額を増額した場合でも、その金額を正当事由の判断で考慮できるとしています。実務上も、最初の通知段階では立退料の提示がない、または低額であっても、交渉や訴訟の中で金額が変わることがあります。
もっとも、後から増額される可能性があるからといって、借主が最初の通知に急いで同意する必要はありません。むしろ、契約終了の根拠、貸主の必要性、借主側の移転負担を整理してから、金額と条件を検討する方が安全です。
提示額が不足すれば明渡しが認められないこともある
東京地裁令和4年10月14日判決では、耐震性の問題を理由に建物の明渡しが求められた店舗事案で、貸主側の建替えの必要性は高いとされながら、正当事由を補完するに足りる立退料の申出がないとして、明渡請求が棄却されました。裁判所が相当と考える水準と貸主の申出上限が大きく離れている場合には、正当事由が補完されないことがあります。
このように、立退料は「あるかないか」だけでなく、「その事案の正当事由を補うだけの金額か」が問題になります。相場の考え方を確認したい場合は、立ち退き料の相場と賃貸・店舗別の計算方法も参考にしてください。
正当事由が問題になりやすいケース
老朽化・耐震性不足・建替えを理由とする立ち退き
老朽化や耐震性不足は、貸主側の正当事由を基礎づける重要な事情になり得ます。もっとも、建物が古いことと、今すぐ借主を退去させる必要があることは同じではありません。耐震診断、修繕可能性、危険性の程度、建替計画の具体性、資金計画、他の賃借人の状況などを総合して見ます。
たとえば、東京地裁平成25年12月11日判決では、築年数が長い木造建物について、貸主側の必要性が高い一方、高齢の長期居住者に生じる不利益も考慮し、立退料の提供によって正当事由を認めました。また、東京地裁令和3年12月14日判決では、老朽アパートで貸主の明渡しの必要性が高いとされつつ、賃借人の居住事情や過去の経過なども踏まえて、賃料・共益費の6か月分相当の立退料が示されています。
同じ「老朽化」でも、立退料の額や結論は大きく異なります。裁判例は、金額だけを相場として使うのではなく、どの事情が重視されたかを読み取ることが重要です。
貸主の自己使用を理由とする立ち退き
貸主本人や家族が住む、店舗として使うなどの自己使用の必要性も、正当事由の判断要素です。ただし、貸主側の希望があるだけで十分とは限りません。現在の住居状況、ほかに利用できる物件の有無、計画の具体性、借主が受ける不利益との比較が問題になります。
借主側としては、貸主の自己使用の必要性を頭から否定するのではなく、その必要性の具体性と、借主が退去することによる影響の大きさを比較できるように資料を整理します。
店舗・事業用テナントの立ち退き
店舗や事業用テナントでは、移転先を確保できるかだけでなく、営業を継続できるかが重要です。移転休業、内装・設備の再設置、顧客離れ、許認可、従業員の通勤、看板・広告・住所変更、在庫移動など、住宅とは異なる損失が生じます。
貸主から低額の立退料を提示された場合でも、営業実態や移転費用を資料で示せば、交渉余地が生じることがあります。交渉方法は、立退料の交渉・増額の進め方や立ち退き料を増額する交渉のコツも参考にしてください。
定期借家や契約違反が主張されているケース
有効な定期建物賃貸借が期間満了で終了する場合や、重大な家賃滞納などを理由に契約解除が有効に成立する場合は、普通借家の正当事由・立退料の枠組みとは異なります。この場合、貸主は「正当事由を立退料で補完する」というルートではなく、契約類型や解除を根拠に明渡しを求めることがあります。
ただし、契約書に「定期借家」と書かれているだけで有効な定期借家と決まるわけではありません。最高裁平成24年9月13日判決は、定期建物賃貸借について、少なくとも同事案では契約書とは別個独立の事前説明書面が必要であることを示しています。現在は、所定の手続を満たす電磁的方法による提供も書面交付と同様に扱われますが、いずれにしても「定期借家」という名称だけで判断しないことが重要です。また、東京地裁平成27年2月24日判決では、定期借家用の契約書が使われていても、過去の更新経過や覚書などから普通借家と判断され、期間満了だけでは終了しないとされました。
立退料がもらえないと言われた場合の切り分けは、立ち退き料がもらえないケースとゼロ提示への対処法で詳しく解説しています。
立ち退き要求を受けた借主が最初に確認すべきこと
正当事由と立退料の交渉では、初動が重要です。通知を受けた直後に感情的に拒否したり、反対にその場で退去日や金額に同意したりすると、後の交渉が難しくなることがあります。
- 契約類型を確認する:普通借家か定期借家か、契約書・重要事項説明・更新書類を確認します。
- 通知の内容を確認する:更新拒絶なのか、解約申入れなのか、解除通知なのかを分けます。
- 貸主の理由を確認する:老朽化、建替え、自己使用、売却、再開発など、理由と資料の有無を確認します。
- 借主側の必要性を整理する:居住・営業継続の必要性、移転困難性、代替物件の有無を資料化します。
- 移転費用と条件を整理する:引越し、賃料差額、内装設備、休業、原状回復、敷金精算、支払時期を検討します。
家賃の支払いは継続する
立ち退き要求に納得できない場合でも、家賃の支払いを止めることは原則として避けるべきです。家賃滞納が続くと、貸主側から契約違反による解除を主張され、正当事由や立退料の交渉とは別の問題になってしまいます。
貸主が受け取りを拒む場合は、供託など別の対応が必要になることがあります。自己判断で放置せず、支払った記録、振込履歴、受領拒否の経緯を残してください。
口頭合意や退去日の即答を避ける
退去日、立退料、支払時期、原状回復、敷金精算、残置物、明渡し後の追加請求禁止などは、最終的に書面で明確にする必要があります。特に、立退料が明渡し後に支払われる内容になっていると、未払いリスクが高くなります。
合意に進む場合は、立退料の合意書(退去合意書)で押さえる条項を確認し、支払条件と明渡条件が連動しているかをチェックしましょう。
交渉の流れを決めてから回答する
貸主から通知を受けたら、まず「退去に応じるかどうか」ではなく、「どの条件なら検討できるか」を整理します。必要資料を集め、費目を積み上げ、回答期限を管理しながら交渉することが大切です。具体的な進め方は、立ち退き料を請求する方法と流れで解説しています。
正当事由と立退料に関するよくある誤解
「6か月前に通知されたら必ず出ていく」は誤解
期間の定めのない普通借家では、貸主が解約申入れをしてから6か月が経過することが契約終了の一要素になります。しかし、正当事由がなければ、単に6か月が経過しただけで当然に明渡義務が生じるわけではありません。
期間の定めがある普通借家でも、更新拒絶の通知時期に加えて正当事由が必要です。通知の時期と正当事由は、別々に確認します。
「建物が古いなら立退料なし」は誤解
建物が古いことは、貸主側の事情として考慮されます。しかし、古いだけで直ちに立退料なしの明渡しが認められるとは限りません。危険性の程度、修繕可能性、建替計画、借主の使用必要性、移転負担などを総合して判断します。
「立退料の相場は家賃何か月分で決まる」は誤解
家賃の何か月分という説明は、交渉の目安として使われることがあります。しかし、裁判例でも、住宅、店舗、長期居住、高齢、営業補償、建物の危険性、貸主側の必要性によって金額は大きく変わります。家賃倍率だけで合意すると、実際の移転費用や営業損失を反映できないおそれがあります。
「裁判になれば必ず立退料が上がる」は誤解
裁判になれば、裁判所が双方の事情を踏まえて判断しますが、必ず借主に有利な金額になるとは限りません。貸主側の正当事由が強い場合や、借主側の資料が不足している場合には、希望額より低く評価されることもあります。交渉段階から資料を整えることが重要です。
立退料の交渉では、希望額だけを伝えるよりも、正当事由を争う理由、退去に応じる場合の条件、移転に必要な費目を分けて示す方が、話し合いを整理しやすくなります。
正当事由と立退料のFAQ
借主が拒否すれば立ち退かなくてよいですか?
正当事由がない場合や、立退料を含む条件が不十分な場合には、借主が明渡しを拒否できることがあります。ただし、最終的には交渉や裁判で判断されることがあり、契約違反や有効な定期借家など別の終了原因がある場合は結論が変わります。拒否後の流れは、立ち退き要求に応じない場合の拒否・交渉・裁判の流れで確認してください。
正当事由が弱ければ立退料は高くなりますか?
一般に、貸主側の正当事由が弱く、借主側の使用必要性や移転負担が大きいほど、交渉上は立退料の必要性や金額が大きくなりやすいといえます。ただし、立退料は機械的な計算式で決まるものではなく、貸主側の事情、借主側の事情、証拠、交渉経過を総合して判断されます。
貸主が「裁判所が決める額を払う」と言えば十分ですか?
裁判所が相当と認める額を支払う意思があるという申出が考慮されることはあります。しかし、具体的な申出額の上限が低すぎる場合などには、正当事由を補完するに足りないと判断されることがあります。金額だけでなく、支払時期、明渡日、敷金・原状回復、未払賃料の精算を含めて確認します。
立退料を受け取るならいつ支払ってもらうべきですか?
原則として、明渡しと同時または明渡し前に支払われる形が安全です。明渡し後の後払いにすると、未払いリスクが残ります。合意書では、支払日、振込先、明渡しの条件、鍵の引渡し、原状回復、残置物、清算条項を明確にしておく必要があります。
まとめ|正当事由は立退料とセットで総合判断される
借地借家法の正当事由は、貸主が建物の明渡しを求める理由があるかどうかを、貸主側と借主側の事情を比較しながら判断する仕組みです。普通借家では、更新拒絶や解約申入れがあっても、正当事由がなければ当然に退去義務が決まるわけではありません。
- 正当事由は、貸主の都合だけでなく借主側の居住・営業の必要性も見る
- 立退料は正当事由を補完する要素であり、単独で明渡しを決めるものではない
- 老朽化・建替えでも、資料・計画・借主の不利益を総合して判断する
- 店舗・事業用テナントでは、営業損失や移転費用を具体的に資料化する
- 退去日、支払時期、原状回復、敷金精算は合意書で明確にする
立ち退き要求を受けたら、まず契約類型、通知の種類、貸主の理由、借主側の使用必要性、移転費用を整理しましょう。正当事由の有無と立退料の相当額は、個別事情によって大きく変わります。合意書へ署名する前に、金額だけでなく支払時期と明渡条件まで確認することが重要です。
坂尾陽弁護士
関連記事
立退料の意味、拒否後の流れ、相場、費目、合意書を確認したい方は、次の記事も参考にしてください。
